3月11日から1年。
あの日、私は日本にいなくて、
時差があったから情報も入らず、地震のことを知らずに寝ていて、
早朝、トイレに起きたとき、初めて知って、慌てて家族に電話をした。
電話はちゃんと繋がって、無事だとわかって、そのまま安心して再び眠りについた。
翌朝、いつものようにテレビをつけると信じられない光景が。
キャスターが、日本で起こった津波だと言う。
動揺して、訳がわからなくなったまま、学校に向かった。
学校でも大混乱していた。
日本人だけ集められて、今後の対応の話を聞いた。
そのとき、家族のいる場所で地震があったという速報が。
連絡をしたけれど、繋がらなかった。
もしかしたら、私一人になってしまったかと思って泣き崩れた。
そのあと、少しして連絡があって、無事だとわかった。
幸い、家族や友達は皆無事だった。
それからというもの、毎日テレビであの津波の映像が流れていた。
ただ、恐怖と虚無感に襲われながら、ぼーっとテレビを眺めていることが多くなった。
それでも、できることには取り組んだ。
募金や、チャリティーイベントへの参加。
しばらく経って、帰国してからは、署名や、イベントへの参加、首都圏でのボランティアなどできることに少しづつ取り組んだ。
でも、私は震災の恐怖を直接には知らないという意識がどこかにあった。
そんな思いを抱え、ようやく10月に気仙沼に向かった。
現地の人が語ってくれた震災直後の話、現在の悩み、温かく前向きな姿勢、「ありがとう」の言葉。
短い時間だったけれど、そのどれもが、今でも鮮明に思い出される。
この前、避難してきた親子のインタビュー映像を見た際に、
男の子の表情が終始泣きそうで胸が痛んだ。
私は、何ができるだろう。
今は、時間がないから、寄付しかできない。
だけど、今、精いっぱいできることを。
いつか、また、現地に行く。
最後に、亡くなった方々のご冥福をお祈りします。